トップページ > 今日の「オヤとコと。」:5年前の3月11日
2016.03.10
明日は東日本大震災が起きて5年目になる日です。
5年前の明日、私は何をしていたか、覚えています。
小学1年の二男がインフルエンザだったのか、もう元気なんですが、学校はいけず、
お休みを取っていた日でした。
久しぶりに平日の昼に私の実家に子どもを連れていき、両親と過ごしていた午後。
そろそろ帰らなくてはと思った時に、地震の大きな揺れがあったような。
広島はそんなに長くは揺れなかったので、大丈夫だと思っていたら
テレビで、北陸に大きな地震があったことが緊急速報され、番組もだんだんと
地震のニュースばかりになっていきました。
職場の夫から、携帯に電話があり、今どこにいるのか、今の地震で、津波がくるのではないかと心配だから、すぐ逃げるようにと。
そんな心配はないよ、とテレビを見たら、
海岸線から大津波が北陸海岸を襲っている映像が、流れているのに目を奪われました。
空からヘリコプターで撮影している風景ですが海岸近くの道路がしだいに飲み込まれ
橋が、地震で切断されたところに、立ち往生していた車にも、波が呑み込んでく。
これは、映画のワンシーンのようだけど、実際の映像?!と目が離せなくなりました。
その後、あの大波によって、たくさんの人がなくなっていかれ、原発事故が引き起こされていったと思うと、
テレビを見つめて、愕然としていた自分が信じられません。
これが、5年前の明日の私の記憶です。
先週、家のFAXに着信があったデータを、削除していたら、ずいぶん昔のものまで消してなかったと
思ってみていたら、それは2011年3月11日以降、実家の母が茨城の水戸に住んでいた弟の安否を報告してくれた内容のFAXでした。
車は運転できるけれど、ガソリンスタンドで長蛇の列だったとか。
お金はあるけど、食べるものが売ってないので、今日は職場の人からおにぎりをもらったとか、電機は通ったのでお風呂は入れるようになった、どこも大変で生き地獄のようだと話していたということが
書かれていました。
印刷をして、これは捨てられないFAXと思って、お手紙を保管するボックスにしまいました。
5年たつと、風化してしまいそうだということで、最近テレビ番組で震災の時のことを特集していることを
よく見る機会があります。
無事に生きている毎日に感謝をして、やはり精一杯生きていきたいなぁと、思いました。